気候変動・脱炭素

Scope 3算定に残された時間|SSBJ義務化までの実務ステップ

2025年3月、日本のサステナビリティ開示基準(SSBJ基準)が確定しました。

有価証券報告書への組み込みが義務化される時期は、時価総額3兆円以上の企業が2027年3月期、1兆円以上の企業が2028年3月期、5,000億円以上の企業が2029年3月期と段階的に近づいています。

「Scope 1・2は義務、Scope 3はまだ任意」と理解し、対応を後回しにしている担当者は少なくないでしょう。しかし、「まだ大丈夫」という認識が、企業を最も大きなリスクにさらします。Scope 3の算定には、準備を始めてから開示できる水準に達するまで最低でも1〜2年かかります。そのため、義務化の直前に着手しても、間に合わない場合があります。それだけではなく、義務化を待たずして、すでに投資家・取引先・保証機関からの対応要請が現実となっています。本記事では、「なぜ今すぐScope 3に着手しなければならないのか」を構造的に解説したうえで、明日から取り組める算定ステップをご紹介します。

1. SSBJはなぜScope 3まで要求するのか「任意だから後回し」が通用しない3つの理由

1-1. SSBJ基準の構造上、Scope 3の把握は前提になっている

SSBJは、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が定めたIFRS S1・S2を日本向けに翻訳した基準です。IFRS S2は「気候関連のリスクと機会」の開示を求めており、GHGプロトコルに基づくScope 1・2・3の開示がその中核に位置づけられています。

現在は、移行期間として柔軟な対応が認められています。しかし、Scope 3を把握せずに「気候関連リスクを財務的に評価した」と開示することは、基準の趣旨に反します。義務化以前から、保証機関や機関投資家から「なぜScope 3を算定していないのか」と問われ、正面から答えるのが難しくなる時がいずれ訪れるでしょう。

1-2. Scope 3の算定準備には「最低1〜2年」かかる現実

Scope 3算定が難しい理由は、必要なデータが社内には存在しないためです。例えば、カテゴリ1の算定では何百社ものサプライヤーに協力を依頼しなければなりません。また、カテゴリ11では、製品の使用時間・耐用年数・廃棄率など情報をそろえる必要があります。このようなデータ収集から最初の開示までには通常1〜2年を要するのが現実です。

2027年3月期に対応が求められる時価総額3兆円以上の企業では、すでに着手が遅れています。2028年や2029年に対応が必要な企業でも、猶予は1〜2年しか残されていません。

1-3. Scope 3が財務情報と接続される理由

SSBJ・ISSBの基準が従来のTCFDと大きく異なる点は、「財務的重要性(マテリアリティ)」の観点からGHG排出量を開示するように設計されていることです。

サプライチェーン全体を対象とするScope 3では、原材料の調達から製品の廃棄に至るまでの排出量が含まれます。多くの企業において、Scope 3の排出量はScope 1・2よりも数倍から数十倍も多くなります。これだけの排出量を無視したまま「気候関連リスクを財務的に評価した」とは言い難く、保証機関や投資家からの問いに十分に答えられなくなる可能性があります。

1-4. Scope 3の算定要求はサプライヤーにも波及する

義務化の直接対象は上場企業ですが、その影響はサプライチェーン全体に波及します。大手上場企業がScope 3(カテゴリ1:購入した製品・サービス)を算定しようとすれば、必然的に取引先へGHG排出量のデータ提供を求めざるを得ません。実際、欧州ではCSRDを通じた間接的なデータ要求がすでに現実化しており、欧州企業と取引のある日本企業も今まさに影響を受けています。

「自社はまだ義務化対象ではない」と考えている企業でも、得意先の大手上場企業がScope 3算定を本格化した瞬間、データ提供を要求される側に回ります。もし準備ができていなければ、取引関係の見直しというリスクに直面する可能性があります。

2. Scope 3の15カテゴリと優先度の付け方

Scope 3は、GHGプロトコルの「Scope 3算定・報告基準」に基づいて15のカテゴリに分類されます。サプライチェーンの上流(カテゴリ1〜8)と下流(カテゴリ9〜15)という2つのグループに大別され、それぞれ活動の種類に応じた活動量データと排出原単位を組み合わせて算定します。

分類 No. カテゴリ 活動例 主な活動量データ 排出原単位の例
上流 1 購入した製品・サービス 原材料・部品の調達、外部委託によるパッケージング、消耗品の購入 購入量(重量・金額) 品目別排出原単位
上流 2 資本財 生産設備・建物・車両の取得(複数年建設の場合は完成年に計上) 取得額・重量 設備種別排出原単位
上流 3 Scope 1・2に含まれないエネルギー関連 調達燃料の採掘・精製工程、購入電力の発電用燃料の上流工程 燃料・電力の使用量 燃料種別上流排出原単位
上流 4 輸送・配送(上流) 調達物流・横持物流・出荷物流(自社が荷主となる区間以降) 輸送重量×距離(トンキロ) 輸送手段別排出原単位
上流 5 事業から出る廃棄物 有価物を除く廃棄物の自社外輸送・処理 廃棄物種別の重量 処理方法別排出原単位
上流 6 出張 従業員の国内外出張(航空・鉄道・宿泊含む) 移動距離・宿泊数 交通手段別・宿泊施設別排出原単位
上流 7 雇用者の通勤 従業員の自宅〜職場間の通勤 通勤距離・手段別従業員数 従業員あたり排出原単位
上流 8 リース資産(上流) 自社が賃借するリース資産の稼働(算定・報告制度上はScope 1・2計上が大半) リース資産のエネルギー使用量 エネルギー種別排出原単位
下流 9 輸送・配送(下流) 出荷輸送(自社が荷主以降)、倉庫保管、小売店での販売 輸送重量×距離 輸送手段別排出原単位
下流 10 販売した製品の加工 事業者による中間製品の加工・製造工程 販売量・加工エネルギー量 加工工程別排出原単位
下流 11 販売した製品の使用 使用者による製品の使用時排出(自動車・家電・燃料など) 製品出荷量・平均使用時間・耐用年数 使用エネルギーの排出原単位
下流 12 販売した製品の廃棄 使用者による製品廃棄時の輸送・処理 廃棄製品の重量・処理方法 処理方法別排出原単位
下流 13 リース資産(下流) 自社が賃貸事業者として他者に貸し出すリース資産の稼働 建物面積・エネルギー使用量 エネルギー種別排出原単位
下流 14 フランチャイズ 自社が主宰するフランチャイズ加盟店のScope 1・2相当活動 加盟店数・売上・面積 加盟店業態別排出原単位
下流 15 投資 株式・債券投資、プロジェクトファイナンスなどの運用 投資額・被投資先の排出量 PCAF基準に基づく加重平均排出原単位

15カテゴリすべてを同時に算定することは現実的ではありません。まず自社で排出量が多いカテゴリを特定し、優先順位をつけることが重要です。活動量データの入手しやすさと排出規模の両面から評価すると、着手すべきカテゴリを絞り込みやすくなります。

業種によって重要視すべきカテゴリは異なります。

  • 製造業:カテゴリ1(購入した製品・サービス)の原材料調達と、カテゴリ11(販売した製品の使用)が排出量の大半を占めるケースが多いです。活動量データとして購入量や製品の平均使用時間・耐用年数の把握から始めましょう。
  • 小売・流通:カテゴリ1(仕入れ商品)と、カテゴリ4・9(上下流の輸送・配送)が中心になりやすいです。輸送重量と距離(トンキロ)のデータを物流部門と連携して収集することが鍵となります。
  • 金融機関:カテゴリ15(投資)がPCAF基準に基づき重要視されます。投資額と被投資先の排出量データを組み合わせた加重平均排出原単位での算定が求められます。
  • 不動産:カテゴリ13(リース資産・下流)でテナントが使用するエネルギー量の把握が主要課題になります。建物面積とエネルギー種別のデータ収集体制の整備が先決です。

3. Scope 3算定の3つのアプローチと精度のトレードオフ

Scope 3の算定手法は大きく3種類に分かれます。どの方法を選ぶかは、データの入手しやすさ・コスト・精度のバランスで決まります。

3-1. 支出ベース法

購買金額に業種別の排出原単位を掛け合わせて算定する手法です。財務データがあればすぐに着手できる一方、精度は低くなります。算定の初年度や、重要度が低いカテゴリへの活用に向いています。

3-2. 平均データ法

重量・距離・個数などの活動量データに排出係数を掛けて算出する手法です。環境省のデータベース(IDEAなど)や国際機関が公開する係数を利用できます。支出ベース法より精度が高く、多くのカテゴリで現実的な選択肢となります。

3-3. サプライヤー固有データ法

取引先から実際の排出量データを収集する手法です。精度は最も高くなりますが、サプライヤーへの協力依頼・データ検証などの手間やコストもかかります。カテゴリ1(購入した製品・サービス)の上位サプライヤーから段階的に導入するアプローチが現実的です。

SSBJの文脈での考え方:
SSBJ基準では「合理的な推定値」の使用が認められており、開示初年度から最高精度を求められるわけではありません。ただし、将来的に保証取得や投資家との対話を見越すなら、中期的に一次データ(サプライヤー固有データ)の比率を徐々に増やす計画を立てておくのが望ましいでしょう。

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4. Scope 3算定の実務ステップ――データ収集から報告書記載まで

Step 1:スコープとバウンダリーの設定(〜1か月)

まず「どこまでを算定対象とするか」を決めます。組織バウンダリー(連結範囲か財務支配力基準か)と算定期間(原則として財務諸表と同じ期間とする)を確定しましょう。

なお、SSBJ基準では、取引先の会計年度と自社の報告期間が異なる場合でも、一定条件を満たせば異なる算定期間の情報使用が認められているため、必要以上に対応を厳格にする必要はありません。

Step 2:Scope 3の重要カテゴリ特定とデータ収集設計(1〜2か月)

全15カテゴリのスクリーニングを行い、その中から重要なカテゴリを3〜5個まで絞り込みます。財務データ・調達データ・物流データなど、社内の既存情報との突合方法を決定します。

サプライヤーへのデータ依頼が必要な場合は、この段階で依頼文の作成と送付先リストの整理を行います。

サプライヤーへの依頼文に含める項目の例:

  • 依頼するデータの種類(年間電力消費量、燃料使用量など)
  • 対象期間・対象製品・サービスの範囲
  • 回答方法(専用フォームまたはエクセル)と回答の締切日
  • 自社のGHGプロトコル準拠の旨と目的の説明

Step 3:Scope 3算定の実施と社内レビュー(2〜3か月)

各カテゴリの手法を確定し、算定を実施します。必ず複数人による数値チェックと、昨年度(または類似企業)との比較検証を行いましょう。

算定ツールを活用する場合、データの入出力フォーマットと保管方法をあらかじめ標準化しておくと、翌年度以降の作業工数を大幅に削減できます。

Step 4:Scope 3の開示内容の策定(〜1か月)

有価証券報告書への記載にあたっては、以下の4点を明示することが求められます。

  1. 算定に使用した手法(支出ベース/平均データ/サプライヤー固有)
  2. 対象カテゴリ、およびどのカテゴリを重要と判断した根拠
  3. 算定期間と組織バウンダリー
  4. データの不確実性・限界に関する注記

「全カテゴリを算定できていない」場合でも、そのこと自体は開示NGの理由にはなりません。どのカテゴリを対象としたのか、なぜそう判断したかをしっかり説明できることが重要です。

Step 5:外部保証の検討

現行のSSBJ義務化スケジュールでは、Scope 1・2の保証が先行し(2028年3月期〜)、Scope 3は対象外または後から適用される見込みです。ただし、CDPスコアや投資家とのエンゲージメントを重視するならば、自主的に保証を取得することでデータの信頼性を高める効果があります。

5. Scope 3算定で躓きやすいポイントと対処法

躓き①:社内データが部門ごとに散在している

調達・物流・総務・経理など、複数の部門にまたがるデータを統合する仕組みがないと、算定作業は手作業の繰り返しになってしまいます。まず「どの部門が何のデータを持っているか」のデータマップを作ることが先決です。

躓き②:サプライヤーの回収率が低く、依頼しても回答が返ってこない

このようなケースは珍しくありません。上位20社程度に対象を絞って個別フォローを行い、残りの企業は平均データ法で補完するアプローチが現実的です。

躓き③:算定結果の妥当性を判断できない

他社や業界平均との比較データが少なく、「この数値が正しいのか」を判断しにくい状況があります。環境省や業界団体が公表するベンチマーク、CDPの業界レポートなどを参照することで、オーダー・オブ・マグニチュードの確認ができます。

Scope 3算定、今年度に着手すべき最初の一手

SSBJ義務化のスケジュールを踏まえると、2027年3月期に対応が必要となる時価総額3兆円以上の企業は、すでにScope 3算定体制の構築が急務です。それ以外の企業も、サプライチェーンからの要求や投資家エンゲージメントを考えると、先行着手のメリットは大きいといえます。

まず今月中にできることは3つあります。

  1. 自社の重要なScope 3カテゴリをスクリーニングする(財務データと業種特性から絞り込む)
  2. 社内のデータ保有部門を棚卸しし、データマップを作る
  3. 算定手法と外部ツール・支援サービスの選定を始める

Scope 3算定は「一度やれば終わり」ではなく、毎年データの精度を高めていくプロセスです。完璧を目指して動けなくなるより、精度70%でもまず動き始めることが、SSBJ時代を生き残るための実務の第一歩です。すでにタイムリミットは迫っています。

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本記事は2025年3月確定のSSBJ基準および公表情報をもとに執筆しています。今後の制度改正により内容が変わる場合があります。

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